〜誰かの「ふつう」を、自分らしく生きていく〜
「障害があるからできない」「無理しないほうがいい」
そんな言葉を、私は何度も聞いてきました。
けれども本当は、「できる・できない」ではなく、「どうすれば自分らしく生きられるか」を考えることこそが大切だと思うのです。
このブログでは、障害と向き合いながら働き、生きる人々の視点から、毎日をどう受け止め、どんな工夫をしているのか。
そして、社会やまわりの人たちとどうつながっているのかを、等身大の言葉で綴っていきます。
「障害」という言葉には、どこか重たい響きがあります。
けれど、それは**「生き方が少し違う」だけ**とも言えるのではないでしょうか。
音や光に敏感で疲れやすい人
気持ちを言葉にするのが苦手な人
一つのことに集中しすぎてしまう人
体の動きに制限がある人
いずれも、工夫やサポートがあれば、**力を発揮できる可能性を秘めた“個性”**とも捉えられます。
障害と向き合うとは、決して戦うことではなく、共に過ごし、自分のペースを知ることでもあるのです。
健常な人にとっては当たり前の「出勤する」という行為も、障がいのある人にとっては一つの挑戦です。
不安で眠れず、朝がつらい
人混みが苦手で電車に乗れない
体調が天気に左右される
前日うまくできなかったことが頭から離れない
それでも、一歩ずつ準備をして、支援者と連携を取りながら、「今日はこれならできる」というラインを一緒に探していきます。
そうした**“日常を維持する努力”そのものが、生きる力**なのです。
就労継続支援の現場では、障がいのある方々がそれぞれのペースで働いています。
製品の袋詰めやシール貼り
手作り商品の加工や販売
農作業や施設内の清掃
パソコンでの入力や作図
始めたばかりの頃は、「仕事=こわいもの」だったという声も多く聞きます。
でも、「これ、できたね」「前よりスムーズになったよ」と言われることで、自分にも役割があるんだと実感できるようになるのです。
「働く」というより、「自分を活かす」という感覚。
それが、毎日の積み重ねから生まれてきます。
障がいのある方が安心して通える場所には、必ず“寄り添う支援者”の存在があります。
決して急かさず、否定せず
今日の調子を見ながら一緒に作業を組み立ててくれる
困ったときに「一緒に考えよう」と言ってくれる
成長を見逃さずに小さな成功を一緒に喜んでくれる
こうした関係性は、「働く」ことに伴う不安や孤独感を軽くしてくれます。
支援とは、手を貸すこと以上に、“信じて見守ること”でもあるのです。
障がいと向き合う毎日は、決して一直線ではありません。
ある日は元気に作業できても、次の日は休みたくなる
意欲がわいたと思ったら、突然ふさぎこんでしまう
「やりたい」があるのに、体がついてこない
そんな日々を、否定せず、責めず、ただ受け入れること。
それが、障がいと向き合ううえでとても大切です。
支援者も仲間も、無理に「頑張れ」とは言いません。
むしろ、「今日は休もうか」「一緒にお茶でも飲もう」と声をかけてくれます。
“ありのままの状態”を認めてくれる場所があること。
それは、何よりの安心につながります。
社会は少しずつ「共生」という言葉に近づいています。
けれど現実には、まだまだ障がいに対する理解不足や偏見も存在しています。
コンビニや電車での無理解な視線
就職面接での「うちは無理だね」の一言
支援が届かない地域の孤立感
それでも、声をあげ続ける人、制度を整える人、そっと寄り添う人がいます。
そして、作業所やグループホームなど、障がいを抱える人が自分らしく生きられる“中間地点”があることが、社会のセーフティネットを支えているのです。
障害と向き合う日々は、楽なものではありません。
でも、そこには可能性という言葉をゆっくりと広げていく時間があります。
「働きたい」から「少し働けた」へ
「誰にも会いたくない」から「挨拶できた」へ
「どうせ無理」から「やってみようかな」へ
それぞれのスピードで、確実に進んでいく道。
それは他人と比べるものではなく、“昨日の自分より、少し進めたか”を見つめるものなのです。
障害と向き合うことは、「負けないこと」ではありません。
自分の特徴や苦手を理解し、必要な支援を受け入れ、“その人らしい暮らし方”を選んでいくことです。
そして、その歩みは決して孤独ではありません。
支援者や仲間
家族や地域の人
そっと背中を押してくれる小さな励まし
そんなつながりのなかで、今日もどこかで誰かが、「自分の明日」を探しています。
障がいを抱えることは、社会に“新しい視点”をもたらします。
「人にやさしい社会とは何か?」を問い続ける力になるのです。
あなたの選ぶ 社会へのかけ橋
障がいを持つ方と社会をつなぐ“かけ橋”となり、一般社会の中で活躍するための継続的な支援を実施しています。